2019年03月31日

音楽と心理学

音楽を聴いて、気分を落ち着かせたり、高揚させたりすることがあると思います。
今回は、音楽と感情との関連について、先行研究を調べてみました。

音楽と感情を研究する上で、難しいと思われる点は、音楽がメローディー・リズム・ハーモニーによって構成されるものであり、さらに歌となると、歌詞・歌手の歌声・歌い方など、様々な構成要素が影響しあって、聴いている人の感情を動かすので、どの要因が影響しているのかが一概に言えない点です。さらに、調査協力者の心理的な状態や曲の好みなど他の要因も絡んできます。

しかしこれは、心理学全般に言えることで、色んな要素が複雑に絡み合ってある現象が起きているわけで、それを研究するためには、要因を細分化して検討したり、何かと何かの相互作用を検討したりしていくしかないのです。

それでは、先行研究の結果を列挙していきます。

1)クラシック音楽の大半は、睡眠導入効果がある
クラシック音楽を聴くと、脳波にθ波の増加が見られることから、覚醒(対義語は睡眠)が低下することが示唆されています。つまりは眠くなるということです。またクラッシック音楽を聴くと、脳波がa波の1/f型のゆらぎを示すそうで、1/f型のゆらぎは、「ここちよさ」の指標として用いられています。
演奏会で寝てしまうのは、仕方ないことだったんですね(笑)

2)音量が突然変化するとき、Chill反応(背中がぞくぞくする反応)が起こりやすいSloboda, 1991)
Chill反応は感動体験とも結びついている生理的反応です。
例えば、ドラマやアニメのBGMが変わるきに、身震いした経験はあるでしょうか。こうした反応を指します。
また声優はセリフの中で音量変化を行っているように思います。セリフ読みで「・・・だよね!(音量多い)でもさ・・・(音量少ない)、やっぱり・・・・(音量多い)」といった感じで、一文、一文ごとに声量を変えているので、セリフを聴いていると心が動かされる(それだけではないですが)気がしますね。

3)音楽が盛り上がるときに、ドーパミンが放出される(Salimpoor, et al., 2011)
個人的に面白い結果でした。音楽を聴きながら勉強をしている人は、この効果を得ているのでしょう。

4)聴く回数が増えると、快感情が増加する (Bradley,1971;Heingartner&Hall,1974;
Krugman,1943;Mull,1957;Zajonc,1968)

同じ音楽を繰り返し提示すると、その音楽への快感情が増加するそうです。

5)悲しいときに悲しい音楽を聴くと、悲しみが低下する(松本,2002)
松本(2002)は、悲しい時に悲しい音楽を聴くことは、感情を調節する方法であることを示唆しています。

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音が感情に影響を与えていることは様々な研究から言われています。今後も発展していく分野だと思うので、個人的に気になっています。音楽療法も気になります。

文献:
松井琴世, 河合淳子, 澤村貫太, 小原依子, & 松本和雄. (2003). 音楽刺激による生体反応に関する生理・心理学的研究. 臨床教育心理学研究, 29(1), 43-57.
寺澤洋子, 星-芝玲子, 柴山拓郎, 大村英史, 古川聖, 牧野昭二, & 岡ノ谷一夫. (2013). 身体機能の統合による音楽情動コミュニケーションモデル. 認知科学, 20(1), 112-129.
高橋幸子, 山本賢司, 松浦信典, 伊賀富栄, 志水哲雄, & 白倉克之. (1999). 音楽聴取が情動に与える変化について: 音楽聴取前後の POMS スコアの変化を中心として. 心身医学, 39(2), 167-175.
榊原彩子. (1996). 音楽の繰り返し聴取が快感情に及ぼす影響. 教育心理学研究, 44(1), 92-101.
松本じゅん子. (2002). 音楽の気分誘導効果に関する実証的研究. 教育心理学研究, 50(1), 23-32.
posted by アリシス at 05:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月09日

Twitterで拡散した虐待動画

連日にように続く、児童虐待のニュースですが、昨年の児童虐待相談件数は133,778件あり(厚生労働省,2018)、またこれは相談件数ですから、おそらくこれ以上の件数の虐待が、今もどこかの家で起こっている状態でしょう。

今回のTwitterの虐待動画のニュースですが、兄が母親による弟の児童虐待を動画に撮り、Twitterにアップ。それが拡散されたことで、動画を見た人たちが警察に通報し、母親が逮捕されたという流れでした。

個人的には、動画とSNSによって虐待が発見され、ソーシャルサポートの場として上手く機能した事例であるように感じました。
今回はこのニュースに対して、先行研究で言われていることを踏まえながら、2つの個人的見解を述べたいと思います。

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児童虐待は、発見することが難しいということが問題の一つとして言われています。家庭内で行われている暴力を外部が発見し、さらに虐待をする親の行動を修正するようなカウンセリングの場にどう繋げるか、といったことは穴だらけです。今日まで教師の家庭訪問未就学児を対象にした区役所職員の訪問普段から子どもの異変に教師が気づく必要があるなど、検討の余地満載な方法で、児童虐待の発見に努めていますが、このような方法で虐待を発見できる気が筆者は全くしておりません。例えば親は、一度の家庭訪問や役所の訪問前には準備して隠すでしょうし、先生が気づくほどのあざをつくらない程度に殴るかもしれません。

今回の動画も、母親は子どもを沢山蹴っていましたが、あの強さでは、人に気づかれ、後に残るようなひどい痣にはならない、つまりは虐待の証拠として残らないのでは、と筆者は感じています。

だからこそ動画として投稿されることで、虐待のひどさが理解され、逮捕につながったのだと思います。

今までは、児童虐待を警察に告発するにしても、虐待を受けたことが分かるような医師による診断が必要で、それには大きなあざができるくらいに殴られていないと、難しい状態でした。

だから例えば、30回殴られて、小さなたんこぶが出来たくらいでは、警察に通報しても虐待をした親は逮捕されなかったと思います。

そういう意味で、スマホが普及して直ぐにこっそり動画が撮れるようになったのは、時代の流れを感じますし、証拠を残せるという意味で良いことだと思っています。

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2つ目は、動画がSNSにアップされたということです。


児童虐待をした親は法的に罰せられますが、そういったことをある程度の年齢にならなければ子どもは知らないのではないでしょうか。
今回の兄も13歳でしたし、「親を警察に通報する」という考えはなかったのではないかと思います。

ツイッターに投稿したことで、それを見た大人が通報したというのは、ソーシャルサポートとして機能していると言えます。

かつ、SNSだと拡散とリプライがスピーディーである点が強みだと改めて感じました。

昔だと、ネット(知恵袋など)で相談することが多かったでしょうが、過去の返信を見ても、「我慢してください」など課題解決になる有益な返答は見かけませんでしたし、実際に援助行動には移してくれた人は誰もいなかったでしょう。

それが実際の動画で拡散されたことで、虐待の深刻さに気づいた正義感のある方によって、今回の虐待発見へと繋がったと思います。

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筆者は、虐待は身体的なダメージだけでなく、長期にわたる恐ろしいほどの心理的ダメージを与えると信じて疑わないので、虐待は早急に発見されるべきであると思っています。たとえ、親が逮捕されるということになったとしてもそう考えます。

その後に、親は行動療法などのカウンセリングを受け、認知の歪みを解消することで、家族の再生へとつなげていくことが大切だと思っています。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
posted by アリシス at 04:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月26日

感情とは何かー基本情動理論・構成主義的理論・コンポーネントプロセスモデル

昨日はクリスマス。

クリスマスは、楽しかったり、嬉しかったり、美味しかったり、一年の中でも特に、多くの人の感情が動かされる日かもしれない。

だが、感情とは何か?どのようなメカニズムで生まれるのか?ということは、心理学でも脳科学の分野でも未だ明らかになっていない。

感情とは何か?という心理学において最も抽象度の高い話の一つであろう問いは、哲学的な話になってしまう恐れがあるし、そもそも「認知と感情を区分べきか」といった話があったりと、筆者にも手におえなさそうな議論になる(哲学者のド・スーザは情動は何か?という問いには少なくとも29もの定義が成り立ちえることを示した)。

感情の定義は一つに定まらないものの、

メカニズムにおいては、心理学では主に3つの主要な理論的立場があるので、今回はそれらを紹介したいと思う。

以降は、情動(emotuion)という言葉を使う。

情動は一般的に我々が使っている”感情”を指す主観的感情(feeling)生理的変化行為傾向などを構成要素としている。

なぜ、こうした要素を纏め、情動と呼んでいるのかというと、感情の存在を科学的に明らかにするために必要だからだ。

感情とは何か?という問いを立ててしまっては、上記で述べたように路頭に迷ってしまう。

情動という言葉を使うことで、主観的情感、生理的変化や行為傾向などの側面から感情を明らかにしようとしているのだ。

それでは代表的な3つの立場をみていこう。
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基本情動理論とは?

人間には、生得的に、独立した個々の感情(喜び・恐れ・怒りなど基本情動と言われるもの)が予めインプットされていていると仮定する。

例えば、クマに襲われると、皆、ヒトは恐怖を感じ、心拍数が上がり、血圧が上昇するだろう。恐怖という感情が喚起されることで、ヒトは逃げたり、フリーズしたりするなど、生命を守るための適切な対処を行う。この時、表情や生理的変化はどの文化にも共通してみられるものである。

このように、生物学的適応に絡むものとして、感情がヒトに生得的に備わっていると仮定しているため、この理論は、進化論的基盤を重視し、適応上の難題に対して迅速で合理的な対処を可能にするために情動が備わった、と考える。

代表論者は、エクマン

さらにこの基本情動理論に文化的差異を含む必要があると議論される。

同じ基本情動を経験しても、文化によって感情の呼び名や表出の度合い、特定の感情の経験のしやすさに違いがある。例えば、日本人はアメリカ人よりも怒りや誇りを感じることが少ないのに対して、罪や恥や尊敬を感じやすいようであるし、同じ強度の感情を感じたとしても、日本人は表出をコントロールし減少させるかもしれない。

基本情動理論は、進化的基盤を重視しつつ、文化的差異も認めている。しかし、基本的には、感情の引き出しに歯止めをかけるものであったり、引き出した感情の使い方を調整したりするものに留まるもので、感情はかなりのところ、生得的な原型をとどめたまま(文化差を超えて)人とのコミュニケーション容易にするものとして考えられる。

この理論のメカニズムを簡単にまとめると、

状況→自動評価→情動(評価に応じて適切な基本情動が予め用意された情動リストの中から一つ選択される)→感情表出(多少、文化的特異性があるものの、かなりのとこと原型を留めたまま表出される)
(遠藤,1996a)

となる。

上記で情動という言葉をそのまま使っているように、
固有の情動(怒り、悲しみ、喜びなど)が存在しており、それが状況に応じて自動的に取り出されるという仕組みである。
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構成主義的理論(次元論)とは?

基本情動理論に対抗し、感情が社会文化を通して構成されるという立場をとる。

感情は、快―不快と生理的覚醒度(感情か喚起されるか、しないか)の2次元によって規定され、そこに文化的な感情概念や感情語が貼り付けられることで、主観的情感が生み出されるという考えの立場である。

代表論者は、ラッセル

この理論の根拠になる事例としては、タヒチ人が、悲しみと罪に相当する語彙を持たず、それらを疲労や身体的苦痛などと区分しないことなどが知られている。

この理論を簡単にまとめると、

出来事→非特定的な産出メカニズム→コア・アフェクト(快ー不快+生理的覚醒度)→コア・アフェクトのカテゴリー化(社会・文化的解釈枠に依拠)→主観的情感

(p269引用・参照)

この理論で”感情”に当たるものは、コア・アフェクトの部分だ。

快と不快+覚醒度の2つによって定義されるコア・アフェクトに我々は悲しいなどとラベル付けをしているのだ。
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コンポーネントプロセスモデルとは?

代表論者はシェラー

我々はいくつかのチェック項目(評価基準)を生得的に持ち、遭遇した状況に対し、多くの場合、自動化された形で評価している。

シェラー自身も理論的変遷があるようだが、初期の段階では、以下の5つの評価基準からチェックするよう予め仕組まれていると仮定していた。

①状況が目新しいものか否か(新奇性)

②全般的に快か不快か

③自らの目標や欲求に積極的にかかわっているものか否か

④原因はどこにあり、自身はその状況に対して適切な対処を成しえるか否か(原因帰属)

⑤状況は社会的規範あるいは自己の規範に合致するものか否か

(瞬時に①~⑤の判断が行われる)

これらのチェック項目が半ば自動的に処理され、それぞれの段階の評価に対して、動機づけメカニズム(注意、記憶、動機づけ、推論、自己など)と相互作用しながら、評価プロセス自体にも影響を及ぼす。

また、身体の神経生理的なメカニズムの状態も変化させ、それを通じて、行為傾向・運動表出・主観的情感などを複雑に、しかしシステマティックに生み出す(p.278)。

簡易に表すと、


Ⅰ. 状況に対する(自動的な)評価→Ⅱ. 個々の基準に対応した要素群(顔、発声、生理、運動などの要素変化パタン)が個々に独立して引き出される→Ⅲ.Ⅱの組み合わせによって、感情の全体像が規定される。

ここで”感情”というのは
Ⅱの組み合わせである。

ここで思い出してほしいのは、基本情動理論だ。

基本情動理論は、
一つの感情(ex 悲しみ)の中に、それ特有の生理的反応や行為傾向が含まれていた。

一方で、コンポーネントプロセスモデルは、コンポーネント(構成要素)と銘打っているように
情動が、生理的反応や行為傾向などの組み合わせによって作られていると考える。

例えば、クマに遭遇したとき、目を見開き、心拍数が上がり、背筋がぞっとしたりするような組み合わせを人は、恐怖とラベル付けするのである。


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〇まとめ

どの理論も、感情が生得的に組み込まれていることを否定できなくなっているし、文化的バリエーションあることも当然のごとく認めるようになってきている。

今、理論間で齟齬が生じているのは、感情の生得的な構造の捉え方や、生得的な感情がどのようなプロセスで、どの程度、社会・文化の影響を受けるのかという点だろう。

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この理論の中で、自分が納得できる理論は見つかっただろうか。

どの理論を良しとするかは、研究領域によって異なる場合もあるし、研究者が重視する哲学的側面が影響するだろう。

筆者としては当初、2番目の次元論が納得するものであった。しかし、快・不快と覚醒度だけで感情が規定されるのかというと、他にも指標が必要であると考えられるし、最近はラッセル本人も2次元だけで感情が規定されることを否定している。

3番目はまず複雑だという感じがする。しかし理解に努めれば、シェラーの言っていることが非常に納得できる。今後、彼の理論を実証するような研究が積まれれば面白いだろう。現在この3つの理論でどの立場かというと、この理論かもしれない。ただ違う気もするのだが、だからといって自分で情動モデルを作れるわけでもない。複雑な気持ちだ。

注意したいことは、無意識のまま何かしらの理論や立場に立つことである。どの理論が欠点で、だからこの理論に立つ方が良いとか、なぜこの理論が良いのかをしっかり説明・理解できた上で、その理論に立ち、論を展開したり研究結果を導くことが大切ではなかろうか。



参考文献


posted by アリシス at 13:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする