2018年12月26日

感情とは何かー基本情動理論・構成主義的理論・コンポーネントプロセスモデル

昨日はクリスマス。

クリスマスは、楽しかったり、嬉しかったり、美味しかったり、一年の中でも特に、多くの人の感情が動かされる日かもしれない。

だが、感情とは何か?どのようなメカニズムで生まれるのか?ということは、心理学でも脳科学の分野でも未だ明らかになっていない。

感情とは何か?という心理学において最も抽象度の高い話の一つであろう問いは、哲学的な話になってしまう恐れがあるし、そもそも「認知と感情を区分べきか」といった話があったりと、筆者にも手におえなさそうな議論になる(哲学者のド・スーザは情動は何か?という問いには少なくとも29もの定義が成り立ちえることを示した)。

感情の定義は一つに定まらないものの、

メカニズムにおいては、心理学では主に3つの主要な理論的立場があるので、今回はそれらを紹介したいと思う。

以降は、情動(emotuion)という言葉を使う。

情動は一般的に我々が使っている”感情”を指す主観的感情(feeling)生理的変化行為傾向などを構成要素としている。

なぜ、こうした要素を纏め、情動と呼んでいるのかというと、感情の存在を科学的に明らかにするために必要だからだ。

感情とは何か?という問いを立ててしまっては、上記で述べたように路頭に迷ってしまう。

情動という言葉を使うことで、主観的情感、生理的変化や行為傾向などの側面から感情を明らかにしようとしているのだ。

それでは代表的な3つの立場をみていこう。
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基本情動理論とは?

人間には、生得的に、独立した個々の感情(喜び・恐れ・怒りなど基本情動と言われるもの)が予めインプットされていていると仮定する。

例えば、クマに襲われると、皆、ヒトは恐怖を感じ、心拍数が上がり、血圧が上昇するだろう。恐怖という感情が喚起されることで、ヒトは逃げたり、フリーズしたりするなど、生命を守るための適切な対処を行う。この時、表情や生理的変化はどの文化にも共通してみられるものである。

このように、生物学的適応に絡むものとして、感情がヒトに生得的に備わっていると仮定しているため、この理論は、進化論的基盤を重視し、適応上の難題に対して迅速で合理的な対処を可能にするために情動が備わった、と考える。

代表論者は、エクマン

さらにこの基本情動理論に文化的差異を含む必要があると議論される。

同じ基本情動を経験しても、文化によって感情の呼び名や表出の度合い、特定の感情の経験のしやすさに違いがある。例えば、日本人はアメリカ人よりも怒りや誇りを感じることが少ないのに対して、罪や恥や尊敬を感じやすいようであるし、同じ強度の感情を感じたとしても、日本人は表出をコントロールし減少させるかもしれない。

基本情動理論は、進化的基盤を重視しつつ、文化的差異も認めている。しかし、基本的には、感情の引き出しに歯止めをかけるものであったり、引き出した感情の使い方を調整したりするものに留まるもので、感情はかなりのところ、生得的な原型をとどめたまま(文化差を超えて)人とのコミュニケーション容易にするものとして考えられる。

この理論のメカニズムを簡単にまとめると、

状況→自動評価→情動(評価に応じて適切な基本情動が予め用意された情動リストの中から一つ選択される)→感情表出(多少、文化的特異性があるものの、かなりのとこと原型を留めたまま表出される)
(遠藤,1996a)

となる。

上記で情動という言葉をそのまま使っているように、
固有の情動(怒り、悲しみ、喜びなど)が存在しており、それが状況に応じて自動的に取り出されるという仕組みである。
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構成主義的理論(次元論)とは?

基本情動理論に対抗し、感情が社会文化を通して構成されるという立場をとる。

感情は、快―不快と生理的覚醒度(感情か喚起されるか、しないか)の2次元によって規定され、そこに文化的な感情概念や感情語が貼り付けられることで、主観的情感が生み出されるという考えの立場である。

代表論者は、ラッセル

この理論の根拠になる事例としては、タヒチ人が、悲しみと罪に相当する語彙を持たず、それらを疲労や身体的苦痛などと区分しないことなどが知られている。

この理論を簡単にまとめると、

出来事→非特定的な産出メカニズム→コア・アフェクト(快ー不快+生理的覚醒度)→コア・アフェクトのカテゴリー化(社会・文化的解釈枠に依拠)→主観的情感

(p269引用・参照)

この理論で”感情”に当たるものは、コア・アフェクトの部分だ。

快と不快+覚醒度の2つによって定義されるコア・アフェクトに我々は悲しいなどとラベル付けをしているのだ。
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コンポーネントプロセスモデルとは?

代表論者はシェラー

我々はいくつかのチェック項目(評価基準)を生得的に持ち、遭遇した状況に対し、多くの場合、自動化された形で評価している。

シェラー自身も理論的変遷があるようだが、初期の段階では、以下の5つの評価基準からチェックするよう予め仕組まれていると仮定していた。

①状況が目新しいものか否か(新奇性)

②全般的に快か不快か

③自らの目標や欲求に積極的にかかわっているものか否か

④原因はどこにあり、自身はその状況に対して適切な対処を成しえるか否か(原因帰属)

⑤状況は社会的規範あるいは自己の規範に合致するものか否か

(瞬時に①~⑤の判断が行われる)

これらのチェック項目が半ば自動的に処理され、それぞれの段階の評価に対して、動機づけメカニズム(注意、記憶、動機づけ、推論、自己など)と相互作用しながら、評価プロセス自体にも影響を及ぼす。

また、身体の神経生理的なメカニズムの状態も変化させ、それを通じて、行為傾向・運動表出・主観的情感などを複雑に、しかしシステマティックに生み出す(p.278)。

簡易に表すと、


Ⅰ. 状況に対する(自動的な)評価→Ⅱ. 個々の基準に対応した要素群(顔、発声、生理、運動などの要素変化パタン)が個々に独立して引き出される→Ⅲ.Ⅱの組み合わせによって、感情の全体像が規定される。

ここで”感情”というのは
Ⅱの組み合わせである。

ここで思い出してほしいのは、基本情動理論だ。

基本情動理論は、
一つの感情(ex 悲しみ)の中に、それ特有の生理的反応や行為傾向が含まれていた。

一方で、コンポーネントプロセスモデルは、コンポーネント(構成要素)と銘打っているように
情動が、生理的反応や行為傾向などの組み合わせによって作られていると考える。

例えば、クマに遭遇したとき、目を見開き、心拍数が上がり、背筋がぞっとしたりするような組み合わせを人は、恐怖とラベル付けするのである。


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〇まとめ

どの理論も、感情が生得的に組み込まれていることを否定できなくなっているし、文化的バリエーションあることも当然のごとく認めるようになってきている。

今、理論間で齟齬が生じているのは、感情の生得的な構造の捉え方や、生得的な感情がどのようなプロセスで、どの程度、社会・文化の影響を受けるのかという点だろう。

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この理論の中で、自分が納得できる理論は見つかっただろうか。

どの理論を良しとするかは、研究領域によって異なる場合もあるし、研究者が重視する哲学的側面が影響するだろう。

筆者としては当初、2番目の次元論が納得するものであった。しかし、快・不快と覚醒度だけで感情が規定されるのかというと、他にも指標が必要であると考えられるし、最近はラッセル本人も2次元だけで感情が規定されることを否定している。

3番目はまず複雑だという感じがする。しかし理解に努めれば、シェラーの言っていることが非常に納得できる。今後、彼の理論を実証するような研究が積まれれば面白いだろう。現在この3つの理論でどの立場かというと、この理論かもしれない。ただ違う気もするのだが、だからといって自分で情動モデルを作れるわけでもない。複雑な気持ちだ。

注意したいことは、無意識のまま何かしらの理論や立場に立つことである。どの理論が欠点で、だからこの理論に立つ方が良いとか、なぜこの理論が良いのかをしっかり説明・理解できた上で、その理論に立ち、論を展開したり研究結果を導くことが大切ではなかろうか。



参考文献


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posted by アリシス at 13:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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